母さん。

母さんへの手紙って初めてだね。
この前、仕事で古淵駅を通過したよ。
駅の周りはあの頃とあんまり変わってなかったよ。

母さんが店を辞めてからもうどのくらい経ったんだろうね。
あの頃のこと時々頭に浮かぶんだ。

母さん。今年で70歳だね。
もう、孫の一人や二人いないとおかしい年齢だね。
なのに、姉ちゃんも俺も未だに結婚もしてないんだもんね。
てか、母さんがそんな年齢になってるなんて考えもしなかったよ。


いつもパワフルな母さん。
俺がものごころついた時には、ウチの家庭は
昼は母子家庭、夜は父子家庭だったね(笑)

小さい頃の記憶だけど、
学校から帰ってくると母さんは夕飯の支度を終え、仕事へ行く仕度をしてたよね。
父さんが決まって18時に帰って来ると、直ぐにご飯食べて、18時30分には駅まで送ってたよね。
一緒に車に乗って行くのが俺は好きだったんだ。
当時はお寿司屋さんで働いてたんだっけ?


その後も母さんは色々な人からの誘いで、いつかの店を変わってきてように記憶してる。
正直、当時の俺にはよくわからない世界だったよ。
いわゆる、お水の世界だよね。
それでも俺は特に違和感を感じることもなく今まで来たかな。


そして、俺が中学2年の頃、古淵に自分の店を持ったよね。
すごく嬉しそうに内装の打ち合わせしてる母さんを覚えてるよ。
小さくても、自分のお店だもんね。
その時は考えもしなったけど、
今では、【お店を出す】ってことが、どれだけ凄いことなのか分かるよ。
でも、それを平気でやってのけてたんだね。尊敬します。


その店も、俺を『大学を卒業させるまでは頑張る』と言っていた通り、15年間休むこともなく働いてたね。

お店のガラスが割られる事件もあったね。夜通し泊り込んだのに、次の日にやられたこともあったしね。
バイクの免許を取った俺が母さんをバイクで迎えに行ったこともあったね。
お店で俺らのサークルの飲み会もやったよね。
土曜・日曜の予約の時は仕込みも一緒にしたね。
俺が彼女を連れて行ったこともあったね。

なんでもない日々だったけど、数え上げたら限が無いくらいの沢山たくさんの思い出があるね。
その当時は、当たり前のこと、当たり前だと思ってたけど、
母さんはいつもこんなこと言ってたね。
『お母さんはね、周りの人達に、あんたやお姉ちゃんが、飲み屋の子供だから弁当も作ってもらえないとか、
子供がどうしようもないとか言わせたく無いんだよ』って。

その通り、俺が高校に進学してからは、3年間1日も欠かすこと無くお弁当を持たせてくれたよね。
夜中の2時に家に帰ってきて、朝の6時にはお弁当があるって相当すごいことだよね。
しかも、手抜きなお弁当なんて一度も無かったね。


店は15年程で閉めたけど、その後も母さんはずっと働いてるね。
去年、父さんが入院した時も、どうせお見舞いで側にいたってしょうがないんだからって言って
手術の日以外は休まず、働いてたよね。


母さん。
貴女は、すごく真っ直ぐな人。
貴女は、勘定より感情で物事を考える人。
貴女は、気前が良くて、働き者な人。

俺ね。
あなたのもとに生まれたこと。
あなたの愛情に触れられていること。
そして、何も変わらずにいるあなたに感謝してます。

ホントは言葉で伝えたいけど、うちの家族はそういうの無いじゃんね。
だから手紙で、『ありがと』


今日は今の会社の社長と、15年いた会社の上司で外資系企業の営業本部長との会食。


なんて言うのかなぁ。
めちゃくちゃ居心地が良いのです。

前の会社。12000人いた。(時もあったw)
今の会社。26人。(?)

大きさじゃなくて、人。


本当に素敵だな。

一人歩いて帰り道。

今年の初めに、2011年の目標は
今年の12月に『絵を描く』と決めたんだ。

その絵を見た人が、感じたことが、きっと俺が過ごしてきた1年なんだと思うって。

暗い寂しい絵になるのか。
明るく楽しい絵になるのか。
見向きもされない絵なのかもしれない。
もしかしたら、賞賛の嵐かもしれない。


振り返るには、まだまだ早いと思ってる。
いつだって、楽しいことして、周りのみんなと笑っていたい。
大笑いして、大泣きして。


ただそれだけ。


だから、今年の絵が全てじゃない。
今年の絵と来年の絵は違うの。
当たり前に、当たり前だからこそ。

残り少ない2011年!
久しぶりに、更新してみた。


何が言いたいかっていうと、これはただの備忘録みたいなものだから
良いの。
これでいいの。ww

さっき、退職の意思を伝えた。
2011年10月15日付けで今の会社を辞める。

1997年に新卒で入社。
あれから、14年と半年。

最後はこんなにもあっさりなのか。


思えば、すげーたくさんのことがあって、
それこそ、書きたいこと、話したいこと沢山あるはずなのに。。。。。。
何を書いたら良いんだろ。




あーあ。いつからだろう。
こんなにも寂しい思いをするようになったの。。。

たくさんの出逢いがあって
、沢山の人達に助けられ、
沢山たくさんの思い出ができたのに。

思い出の数だけ、虚しさがあるのかな。
もっと早く辞めてたら。。。。
もっと長く頑張ってたら。。。。



たらればを言っても仕方ない!
次のステージへ向けて、たった一人の引退式だな。




久しぶりだ。
でも、毎日ちゃんと楽しんでたよ俺。うん。

今日はある意味、俺にとっても大きな変革の日なのかもしれない。
入社以来、お世話になってる先輩が退職することになった。

すげー兄ちゃん的な存在で、
ちょっとおせっかいで、
いつも俺が俺がの先輩たちの中でも特に突出してる存在。w

ここ最近は、同じ部門で働くことは無かったけど、
何かある度に、ちゃんと声を掛けてくれる。
心配してくれる。
先輩ボタンを押しまくるw。

そんな先輩は現在、子会社に出向しており
その子会社が丸ごとグループから外れることになり、
出向元に戻るか、そのまま転籍するか?の選択肢の中で
退職(どちらにも属さない)の道を選んだ。


始めにその話を聞いたときには
家族もあって、大丈夫なのかな?とか
転職先を探すにしても、とりあえずどちらかに属せばいいのに。。
なんて簡単に思ってしまった俺。


実際、電話で話を聞いたときにその考えは消えたんだ。


『残ったって、どうせ新入社員以下の扱いだろ』


その通り。だった。
今の会社の状況を考えたら、きっと経験や能力を見ない(見れないといった方が適切かも)で
出向解除後の人達は、一同に同じ部署で新人として見られる。
おかしなことになるのだ。。。


そんなの嫌だって。
それに未練もないって。

かっこよい。かっこよすぎる。
そんな先輩から今日、以下のメールが届いた。。


原文ママ(突っ込みドコロ満載) 注)人名等は修正
***************************************************************
お世話になった皆様
お世話した皆様

※CCBで失礼します。

お疲れ様です。
㈱【社名】モバイルの○○です。
私事で恐縮ですが、この度、出向元である   を
退職する事になりました。

独立営業部であるビル営業部入社より、以来15年とチョイト、
言葉では言い尽くせない多くの良い経験をさせて頂きました。

全国の営業所にお世話になった、出張飛込み営業部隊。
毎月、ノルマをキッチリこなしつつ、出張先での美味しい物を
食べ歩かせて頂き、なんと楽しい会社なんだと感じた4年間。

パーソナル事業本部時代では、「販売」から「営業」への意識変換を
行い、大きな仕事に取り組め、個人的に飛躍したチャンスを頂戴出来
たと、◆◆◆(二代目)及び▲▲さんはじめ、上司の皆様に心より
感謝いたしております。

そして、一緒に笑い、泣いた、かけがえのない仲間

上司、先輩、同期、後輩

ありがとう

怒られる事、沢山ありました。
悪い事、いっぱいやっちゃいました。
悔しい事、色々ですわ
喜ぶ事、自慢の数あります。
褒められる事、3個くらい・・・・

どんな時も、最高な仲間に囲まれ、支えられていたていたからこそ、
全てが素敵な想い出です。

15年の【会社名】人生での財産は、仲間です。
一人では何も出来ない○○です。
どうかこれからも、○○の宝物であってください。


心から感謝です

**************************************************************************

意外にも、あっさりした文章。
いつものメールと違って、短くでびっくり。

でも、先輩の意図は何となくわかる。


始めに、CCBですみません。→これBCCね
ココナッツボーイズじゃないんですから。。。。

ノルマもあっさりクリア。
確かに、とうじのこの営業部。ノルマを達成しない人は
まずいなかった。仕事はきっちり、遊びもきっちりの集団だった。


一番すげーなと思ったのが、ここ

『パーソナル事業本部時代では、「販売」から「営業」への意識変換を行い、大きな仕事に取り組め、個人的に飛躍したチャンスを頂戴出来たと』

≪販売≫と≪営業≫の違い。
俺がずっと感じてたこと。

今の会社はこの違いに気が付いてないのだろうか。。。。
営業を育てることが出来ない組織。。

こんな会社に未練は無い。


最もなのだ。。。

明けて結構経ちました。。
今年もきっとめでたいはずです。


さてさて、すでにmixi日記ではUPしましたが、
今年の目標宣言。

ずばり、【絵を描くこと・完成させること】 にします。

テーマも手法も何も決めてません
が、【絵を描く・絵を完成させる。】 ことを目標とします。

2011年12月に完成した絵がどんなものになるのかが、この一年の歩みだと思う。
色んな人達に出会い、いろんな経験をして、たくさんの思い出が出来て。
そんでもって、12月に完成する絵を見たみんなが、
HAPPYに思ってくれるようなものになれば きっと、この2011年も良い年であったのだと思う。


そんな勝手な解釈で、絵を描くこと を目標にします。


はいど~も
タイトルの『やっぱり猫が好き』は三谷幸喜さんのドラマとは関係ございません。はい。


さてさて、俺の実家では、猫を今までに何十匹と飼っていましたが、一人暮らしを始めてからは、当然飼ってないわけです。

でも猫は良いです。

猫って、自由でしょ。
神出鬼没で行動がおもしろい!
しかも、飼い方が楽チン。散歩もいらないし、トイレはちゃんと覚えるし。



でも、やっぱり生きてる猫は飼えないし。。。
でも、この猫ならおススメ!!


【マグ猫】全8種類!!!


$『いつも心は子供でいよう』-ねこ13

威嚇する猫。(キジトラ)


メディアファクトリーさんから発売されているのが
『マグ猫』というフィギア。

こいつがなかなか可愛い!!




$『いつも心は子供でいよう』-ねこ4

全8種類!!

俺の家の中で各地に散らばっております。

$『いつも心は子供でいよう』-ねこ14
何を狙ってる??(ミケとサビ)



$『いつも心は子供でいよう』-ねこ16
お風呂でくつろぐ(サバシロとクロ)




$『いつも心は子供でいよう』-ねこ15
トイレに隠れてた(ブチ)



$『いつも心は子供でいよう』-ねこ12
パソコンの邪魔をする(シロとチャシロ)




いやー可愛い。


しかもこいつらの特技がまたまたすごい!!!

シンクロナイトスイミング!!!??
↓↓↓↓↓↓
$『いつも心は子供でいよう』-ねこ6

驚きのこの技!!
硬い板をもぶち抜いてます。はい



$『いつも心は子供でいよう』-ねこ7



そう。
からだが真っ二つに別れるんです。
で、磁石がついてるから、色んな用途に使えるんだって~



だから、こんなことも出来ちゃう!

$『いつも心は子供でいよう』-ねこ5



$『いつも心は子供でいよう』-ねこ2

$『いつも心は子供でいよう』-ねこ3



ちょっと、使い方を間違ってる気もしますが、何か??


こちらの商品は、㈱メディアファクトリーさんから発売中!!


こちら、公式サイト⇒http://www.magneko.com

はいどーも。
俺が所属してる、ネット動画制作集団『ツブゾロッタフィルム』の
公式ホームページが完成したらしい。

かなり、時間をかけただけあって
そりゃーすげー完成度でしょ!?!?!ってことで、
過去の動画や俺らのプロフィールなんかも掲載されてるので
お時間ある方はどうぞ見てやってくださいな。

↓↓↓↓↓↓↓
http://www.tsubuzorotta.com
$『いつも心は子供でいよう』-HP
久しぶりの更新。
先週末、後輩ちゃんの結婚式と、お取引先の美容室のスタイリストさんの結婚式。
ともに、2次会に参加させてもらったよ。

後輩ちゃんはとっても久しぶりに逢ったけど、
相変わらずというか、それ以上というか、とっても綺麗になってたし
スタイリストさんは、あんまりお話したこと無かったのですが、とっても楽しいご夫妻で
調子に乗って3次会のサルサダンスまでご一緒させていただきました。

$『いつも心は子供でいよう』-小西夫妻

後輩ちゃん夫妻。


$『いつも心は子供でいよう』-羽熊夫妻

スタイリストさん夫妻。



参列者の皆様
2次会では大変お騒がせをしました。
この場を借りてお詫びします。はい。
まぁ、めでたい席と言うことで。お許しください










母さん。


母さんへの手紙って初めてだね。
この前、仕事で古淵駅を通過したよ。
駅の周りはあの頃とあんまり変わってなかったよ。

母さんが店を辞めてからもうどのくらい経ったんだろうね。
あの頃のこと時々頭に浮かぶんだ。


母さん。今年で70歳だね。
もう、孫の一人や二人いないとおかしい年齢だね。
なのに、姉ちゃんも俺も未だに結婚もしてないんだもんね(笑)
てか、母さんがそんな年齢になってるなんて考えもしなかったよ。


いつもパワフルな母さん。
俺がものごころついた時には、ウチの家庭は≪昼は母子家庭≫・≪夜は父子家庭≫だったね(笑)

小学生の頃の記憶だけど、
俺が、学校から帰ってくると母さんは夕飯の支度を終え、仕事へ行く仕度をしてたよね。
父さんが決まって18時に帰って来ると、直ぐにご飯食べて、18時30分には駅まで送ってたよね。
一緒に車に乗って行くのが俺は好きだったんだ。
当時はお寿司屋さんで働いてたんだっけ?


その後も母さんは色々な人からの誘いで、いつかの店を変わったんだよね。
正直、当時の俺にはよくわからない世界だったよ。 もちろん今はわかってるよw
いわゆる、お水の世界だよね。
それでも俺は特に違和感を感じることもなく今まで来たかな。


そして、俺が中学2年の頃、古淵に自分の店を持ったんだよね。
すごく嬉しそうに内装の打ち合わせしてる母さんを覚えてるよ。
小さくても、自分のお店だもんね。
その時は考えもしなったけど、今では、【お店を出す】ってことが、どれだけ凄いことなのか分かるよ。
でも、それを平気でやってのけてたんだね。尊敬します。


その店も、俺を『大学を卒業させるまでは頑張る』と言っていた通り、15年間休むこともなく働いてたね。


お店のガラスが割られる事件もあったね。夜通し泊り込んだのに、次の日にやられたこともあったしね。
バイクの免許を取った俺が母さんをバイクで迎えに行ったこともあったね。

お店で俺らのサークルの飲み会もやったよね。

土曜・日曜の予約の時は仕込みも一緒にしたね。
俺の彼女を連れて行ったこともあったね。


なんでもない日々だったけど、数え上げたら限が無いくらいの沢山たくさんの思い出があるね。
その当時は、当たり前のこと、当たり前だと思ってたけど、母さんはいつもこんなこと言ってたね。

『お母さんはね、周りの人達に、あんたやお姉ちゃんが、飲み屋の子供だから弁当も作ってもらえないとか、
子供がどうしようもないとか言わせたく無いんだよ』って。


その通り、俺が高校に進学してからは、3年間1日も欠かすこと無くお弁当を持たせてくれたよね。
夜中の2時に家に帰ってきて、朝の6時にはお弁当があるって相当すごいことだよね。
しかも、手抜きなお弁当なんて一度も無かったね。


店は15年程で閉めたけど、その後も母さんはずっと働いてるね。
去年、父さんが入院した時も、どうせお見舞いで側にいたってしょうがないんだからって言って
手術の日以外は休まず、働いてたよね。


母さん。
貴女は、すごく真っ直ぐな人。
貴女は、勘定より感情で物事を考える人。
貴女は、気前が良くて、働き者な人。


俺ね。
あなたのもとに生まれたこと。
あなたの愛情に触れられていること。
そして、何も変わらずにいるあなたに感謝してます。


ホントは言葉で伝えたいけど、うちの家族はそういうの無いじゃんね(笑)


だから手紙で、『ありがと』だけ伝えます。